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あるものが本当に必要かどうかを知るためには、頭のなかでそれを無くしてみるといい。なぜ教育を国がやらねばならないのかについて疑問があるならば、教育を想像のなかで民営化してみると、その必要性(または不要性)がわかる。
もし義務教育を民営化したらどうなるだろうか。子供に教育を受けさせるお金と意欲がある親ならばよいが、もしそうでないとどうなるか。
子供に教育を施せない親は、たいていは貧しいだろう。すると家計から教育費を出せないだけでなく、そういう家庭では、子供は将来への投資ではなく、いまの家計の補助と見られるであろう。要は子供は労働力なのだ。だから貧しい国で児童労働が起こる。
では義務教育は廃止したままだが、貧しい親にお金を与えて、その金で親に自由に民間の学校を選ばせたらどうだろうか。
ここでの問題は、親がその金を本当に子供の教育費として使うかどうかだ。もし子供の教育に熱心でなければ、国からもらった金を教育のために使わないだろう。国から教育費として支給された金を、親は自分のために浪費してしまうかもしれない。
それを防止するためには、国は直接、学校に金を払わなければならない。そして子供を通学させるよう、親を強制しなければならない。もちろんここまでに関しては、学校が公立でなければならない理由はない。すべて私立で、教育費を国が賄ってさえいればよい。
問題は学校が公立であるか、私立であるかというよりは、金が教育のために使われるかどうかだから、その意味で教育費は税金から出さなければならない。
では年金はどうか。年金を完全に民営化してみよう。するとわれわれは退職後に国から年金をもらうことはできない。反対にわれわれは自分たちの老後を自分たちで見なければならない。つまりいまから将来の自分のために貯金をしなければならないのだ。
ここでの問題は何か。貯金をせずに老後を迎えた人をどうすべきかということだ。ある人は老後のために、若いときからしっかりと貯金をする。しかし別の人は稼いだものを稼いだ瞬間からどんどん使い、老後のためにまったく貯金しない。
貯金した人は若いときに節制したから、安心できる退職者生活を享受できるが、貯金しなかった人は貯金しなかった分、若いときに楽しむだけ楽しむことができた。
さて貯金しなかった人は働けなくなってからの生活費を一文も持っていない。われわれはそういう人が飢え死にしていくのを見過ごせるだろうか。
そうでないなら、最初から政府が強制的に年金の積立金を徴収して、浪費癖のある人たちの行動を縛ってしまうしかない(もちろん現時点では、年金は税金ではなく保険料だから、政府に強制力はない)。
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