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NTTはもともと、国有企業だった。なぜ国有だったのか。
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世の経済には、最初の一つ目の製品、一回目のサービスを提供する前に、莫大な費用をかけて初期投資しなければならない産業がある。
たとえばレストランを開きたいとしよう。確かに個人にとってみれば、ビルの一室を借りるために敷金・礼金を払い、改造し、流しやコンロを買わなければならないから、これはこれで気が遠くなるほどの資金を必要とする。しかし銀行など、その金を貸してくれるところは(採算性が見込めるかぎり)たくさんある。
一方、少なくとも国有化された何十年も前ならばとくに、民間の金融市場からはとても調達などできないほどの莫大な費用を要する初期投資もあるだろう。鉄鋼、炭鉱、鉄道、航空、そして電話。これらは元々の産業の規模が大きい。
だが鉄道と電話についてはさらに重要なことがある。それはある程度、全国に鉄道網なり、電話網が行き渡っていないと、その価値があまりないということである。
たしかに鉄道にしても、電話にしても、最初はたとえば東京―横浜間だけで、電話に関しても少数の金持ちしか使えなかったが、電話が本当に生活に必要不可欠なものになったのは、完全とは言わずとも、潜在的にはほとんどすべての国民が電話にアクセスできる状態になってからである。
ここまで初期投資を必要とする産業に、民間金融市場は十分な資金を提供できただろうか。そう考えると、国有産業の一つの特徴は社会的には有益であっても、経済的合理性という観点からは市場から出てこない産業を育成することである。
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しかしとくに鉄道と電話に関しては、国有産業であるべき理由がもう一つある。
仮に最初は国が税金を使って、鉄道網なり、電話網を敷いたとしよう。もしここで、資産は国有のままだが、市場自体は民間に開放したらどうなるか。加えて前項の「民間金融市場は資金提供できない」という前提も取り除いてみよう。
すると鉄道市場と電話市場に民間からライバルが現れる。そのライバル会社は国有会社から客を奪おうと、新たに鉄道網・電話網を敷く。その結果はどうなるか。
通常どんな会社でも、最初に借金で初期投資して、それをその後の収益から返済していく。もしライバル会社が参入してくれば、その市場は競争状態になる。
経済学は市場が(完全)競争状態に近づけば近づくほど、価格は限りなく「限界費用」に近づくと言う。「限界費用」は通常の企業会計の用語ではないが、製品一単位を作るときに必要な費用のことだから、変動費と理解できる。
すると競争が激化すればするほど、製品・サービスの価格はその製品・サービスをつくるために必要な材料費や光熱費にまで下がる。なぜなら変動費以上の稼ぎがあることが想定されるならば、少しでも利益を上げるか、初期投資(固定費)を返済するために、販売を続けるからである。
もしこのように激しい競争が鉄道や電話で起こったらどうなるか。共倒れになり、社会的には有益な産業がなくなってしまう。
たいていはこういうことが予想されるため、誰も投資しようとは思わないし、金を貸すことはない。だから鉄道網や電話網はそれを持っている企業がライバルに意地悪しなくても、または政府が禁止しなくても、独占状態になるのだ。これを「自然独占」という。
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時代も下って1980年代。70年代のオイルショック→スタグフレーション(インフレと失業の同時発生)を解決するために、イギリスのサッチャーとアメリカのレーガンは新自由主義的な改革を実行した。
一つは失業ではなく、インフレを解決すべき対象とした。そのためにサッチャーは不況下で増税を行う。新自由主義の経済学的基礎はマネタリズム。物価は貨幣現象で、貨幣が多ければインフレになり、少ないとデフレになると説明する。だから民間市場から貨幣を取り上げれば、インフレは沈静化する。そこで増税というわけだ。
二つは支出を削ると同時に、歳出も削る。低福祉・低負担だ。要は税金を安くすることで、民間経済を活性化させるとともに、福祉を少なくすることで自助努力を促すということだ。確かに税金が安くなれば、個人消費が高まり、また法人税が安くなれば、その資金は設備投資に向かうだろう。
三つはできるだけ多くの産業を市場経済にさらすべきだという考えから国有企業を民営化する。「市場万能論」という揶揄は行き過ぎだとしても、新自由主義者は「マーケット・ディシプリン」(市場の規律)こそ経済を発展させると考える。
市場において競争にさらされ、成功すれば大稼ぎできるが、失敗すれば淘汰されるという恐怖心が企業を奮起させる。つまりマーケット・ディシプリンが「インセンティブ」(動機・誘引)になることで、経済が活性化されるというのが新自由主義の考えだ。
すると鉄鋼も、炭鉱も、水道・電気・ガスも、航空も、鉄道も、電話も、市場にさらせば、それぞれの産業が発展する(または炭鉱のように淘汰される)。だからこれら国有産業が民営化されたのだ。
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電電公社は中曽根政権下の1985年に全国一社体制で民営化された。さらに、1999年に持株会社方式による現行の組織体制に再編された。それ以降は大きな政治議題ではなかったが、新自由主義再来の2000年代前半に再々編問題が浮上する。これは通信にも競争原理が導入されることを意味する。では上記の自然独占状態で、どうやって競争を促進するのか。
二つある。一つは「設備競争」。もし情報通信市場に参入したければ、自分でメタル回線なり、光ファイバーを敷きなさいということだ。もう一つは「サービス競争」。自分で回線網を持っていなくても、独占企業の回線に相乗りすることで、通信サービス分野で競争を促すことだ。
1985年当時の政府は後者を採った。つまり回線網を持つNTTのメタルなり、光をライバル会社に使用させることで、彼らに通信サービス市場に参入させ、それによって競争状態を確保しようということだ。
だからまずサービス競争促進のためには、NTTは自身、通信サービスを提供しているにもかかわらず、ライバルの通信サービス会社にその回線網を提供しなければならない。これを法律で縛るのが、サービス競争を促進する第一手だ。これを「接続政策」という。
だがこの段階ではまだNTTは回線網をライバルに開放すべしということしか規定されていない。だからもしNTTがライバルに法外な使用料を請求すれば、ライバルは参入できない。
それゆえサービス競争というパズルにはもう一つのピースが必要だ。それが「接続料政策」である。これはNTTが参入業者に請求できる金額を法律で決めてしまおうということだ。では法律を実質的に策定する官僚や、その中身もわからないまま法案を採決する政治家が、適正な料金を決められるのか。
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ここに大きな矛盾がある。そもそもなぜ競争する必要があるかといえば、それは市場メカニズムを適正に働かせることだ。市場とは売り手と買い手がそれぞれの判断で価格を(交渉して)決める場所である。
なぜ「(交渉して)」とカッコ( )に入れたかといえば、ほとんど大多数の市場で売り手と買い手は交渉しないからである。せいぜい目立つところでは、絵画のオークションとバナナの叩き売りくらいだ。
すると競争という要因を導入することで、市場において擬似的な交渉状態を作り出す。われわれはライバル会社どうしの価格を比較することで、納得できる価格の商品を選ぶ。この売り手と買い手のゲームを何回か重ねると、自然に価格は売り手と買い手の合意価格に近づいていく……。
この想定が正しいならば、そもそも適切な価格を決めさせるために競争を導入したのに、その価格自体を政府が決めることになる。何か本末転倒ではないか。
いずれにせよ現在の情報通信政策にはさまざまな問題がある。冒頭の問題意識に戻れば、電話が国有化されていた一つの理由は、これが経済的合理性ではなく、社会的有益性が優先される産業だからではなかったか。ここに市場経済・競争原理という経済的合理性優先の話が入ってきて、競争だけが目的化したことに無理があったのだ。
(このコラムは毎月1日と15日の月二回。次回は3月15日です。)
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