景気が低迷しているが、財政も危機的な状況にある。通常、財政赤字が大きいということは、その分、民間経済にたくさんの札束が流れ込んでいるということだから、インフレになるはずである。
インフレとは物価高のことだが、理論上は貨幣現象である。市場に出回る貨幣が多ければインフレになり、少なければデフレになる。直感的には、貨幣量が多ければ消費者が手にする金が増えるから、それで物を買おうとする。物の量との対比で金の量が多ければ、多くの金で少ない商品を追うから、品薄の物の値段が上がる。
一方、物の量に比べて金の量が少ないと、消費者の持ち金が減るから、物が売れない。売れないと買ってもらうために安くするため、物価は下がっていく。こう考えると、財政赤字がこれほど大きいのになぜ景気が後退し、デフレになるのか不思議になる。
そこで景気対策である。今のデフレの原因は2008年の金融危機、昨年からの欧州債務危機、そして円高である。2008年の金融危機はアメリカのサブプライムローンが発端だった。サブプライム(優良以下)の借り手に住宅ローンを貸し出すが、優良以下だからやはり返済できすに債務不履行する。
ローンを貸した金融機関は借用証書を新たな金融商品に変えて、別の金融機関に貸し出す。この連鎖によって世界中の金融機関にアメリカのサブプライムローンが行き渡るが、最初の借り手が踏み倒すことで、債務不履行のドミノ倒しになる。
被害を受けた多くがアメリカの金融機関だが、これで貸し渋り・貸し剥がしが生じ、経済が停滞していく。アメリカはまだこの不景気から立ち直っていない。
そして債務危機。主にヨーロッパの金融機関がギリシア、ポルトガル、アイルランド、スペイン、イタリアの国債を保有しているが、それぞれの財政赤字が大きすぎるため、これらの国々が破綻しそうになる。するとこれらの国債を保有する金融機関の株が下がって資金繰りに苦しむ。これで貸し渋り・貸し剥がしが起こり、経済が後退していく。
景気が悪ければ、財政政策か金融政策で景気を立て直すしかない。しかしすでに多くの国々で財政は限界に達した。アメリカでは連邦債務に上限があり、すでに危険水域だが、上限引き上げだけで議会がストップするほど、党派対立が景気の足を引っ張る。
残された道は金融政策しかない。金利の引き下げか、量的緩和である。後者は民間が保有する国債を買い取ることで、事実上、紙幣を刷って市場に投入することである。
量的緩和に踏み切るということは、これ以上公定歩合を下げられないところまで来ていることだから、金利はすでに低い。となると、その国の通貨を持っていても、あまり利子を期待できないから、少しでもリターンの多そうな国の通貨を買う。
すでに述べたように、アメリカはすでに低金利。ヨーロッパも投資先として危険である。残る通貨のなかで、比較的安全で、投資先として意味があるのは日本くらいしかない。
つまり円高は日本経済への信認ではない。短期的な利ざやを稼ぐことしか頭にない機関投資家が、短期的な見返りを期待できるところとして、それも「その国の経済が良いから」ではなく「他の経済と比べてマシだから」という消極的な理由で円を買っている。
だから他の経済との比較で日本経済が危ういと見られれば、彼らは簡単に日本を見放して他の通貨に乗り換えるだろう。
対策だが、銀行の貸し渋り・貸し剥がしが原因だとすれば、銀行に資本注入する。税金で銀行を救い、貸し出しができるように金を渡すことである。1990年代後半の日本でも、2008年のアメリカでも、今回のヨーロッパでもそうした。
これに対して、銀行救済では景気は回復しないという意見がある。そういう人たちは、銀行に資本注入しても、それは自己資本を強化したい銀行の金庫に眠るだけで、貸し出しには向かわないから、別の手を考えるべきだという。
景気後退は消費の減退を意味する。銀行に金をあげても貸し出してくれないから、実際に買い物をする消費者の手に直接、金を握らせてはどうか。具体的には、減税や現金給付などがある。しかし景気が悪く、将来に不安があると、消費者も手元に現金を置いておくだろう。必要なのは消費させることだから、商品券・地域振興券という手もある。
景気が後退しデフレになると、倒産が増え、失業率が上がる。だから失業対策することも必要である。金持ちに現金を渡しても、本当に使ってくれるかどうか定かでない。必要最低限の消費だけして、あとは貯金するかもしれない。しかし失業者は生活の維持に困っているから、職を与えて金を持たせれば、すぐに消費してくれるだろう。
国民全員に現金を持たせるよりも、失業対策や低所得者への減税または現金・商品券給付のほうが効果的だという主張である。
銀行救済は金の供給元(サプライサイド)を強化する対策である。消費者に金を持たせるというやり方は需要(ディマンド)を喚起するものである。供給があれば自然に需要が満たされるのか、それとも需要を刺激しないと供給が滞るのか――これは経済学において永遠の問いであり、いまでも決着はついていない。
消費税論議はどうか。90兆円予算に税収は40兆円。一般会計は年間50兆円も不足する。特別会計からの埋蔵金があっても、44兆円の赤字国債が必要である。そこで社会保障の安定化と財政健全化のために、消費増税が必要だという議論である。
一方「これほどの不景気で増税したら、さらに景気が悪くなる。まずは経済を成長させて、それによる増収を目指すべきだ」という見方もある。
1990年の予算は70兆円だが、税収は60兆円あった。経済成長論は正しいように思えるが、今後、税収が60兆円になるほど経済は成長できるのか。仮定の話として、年5%くらいの成長が10年続かないと税収60兆円にならないとしよう。
いまの世のなかで、どうやってこれほどの経済成長を達成できるのか。ひとつの説として、財政を大幅に削減して、規制を大胆に緩和すれば、達成できるというのがある。
背景に、政府が大きいとそれだけ民間経済から取られる税金が多いという見方がある。税金は消費者が自由に使える金が、国家によって奪われることを意味する。国家が税金を集めなければ、消費者は自由にその金を使うことができるから、経済は活性化する。
さらに「規制は自由な経済活動を阻害している」という説もある。極端な例だが、食料安全基準が緩ければ、食品業界への参入が増えて競争が促され、業界全体の拡大につながる。売上げが増え、利益も上がって、国民総生産も大きくなる。
対して「政府が税金によって公共事業をするから失業者が救われ、経済が安定する」という見方がある。また「税金が高くても福祉が充実していれば、消費者は将来のことを気にせず安心して金を使えるから、消費が上向き、景気も良くなる」という説もある。
加えて、規制を緩和し過ぎれば消費者の不安が大きくなり、かえって消費を阻害するという立場もある。規制を厳しくすることで、消費者は自分が購入するものを信用できるから、消費が促されるということである。
どちらが正しいのか。経済学の書物を精査しても、決定的な答えは見つからない。銀行に資本注入したほうが景気が良くなるのか、消費者に現金をつかませたほうが景気が良くなるのか――厳密には判断しがたい。完全に議論を終わらせるほどの証拠はない。
どうすべきか。学問的・科学的には決着していないが、これらの問いは日常生活に直結する。学界の議論を待つほどの猶予はなく、すぐに決断して行動しなければならない。以上は理論的な問いではなく、政治が決断すべき実践的な問いである。
民主主義においては、政治は民意の反映である。つまり国民の合意に基づいて、政治家がリード(指導)するのが政治の王道である。そこには前提として、メディアを主体とする「じっくり考える」(熟慮)過程を必要とする。
メディアによる「熟慮」、国民の「合意」、政治家がやるべき「指導」――これら三つがそろって政治は成り立つ。
つまり徹底的に情報を開示して、国民に考えさせ、国中で議論して合意していくしかない。最適な景気対策という課題は、科学的な「正誤」の問題ではなく、「手元にあるいろいろな論拠を斟酌して、われわれがどういう決断を下すか」という「選択」の問題である。
英紙ガーディアン(1月18日付)は次のようなパラドックス(逆説)を紹介する。「1980年代、民主主義の失敗を埋め合わせるために、自由市場は規制緩和された。かたや、こんにち、民主主義は自由市場の失敗を埋め合わせることを期待されている。」
米金融危機も欧州債務危機も、自由経済の失敗である。前者は米連邦政府、後者は欧州連合という超国家的合議体がその解決に乗り出した。その意味で上の一文は正しい。
私がこの話を持ち出したのは、「経済学の失敗」とは言い過ぎとしても、学問が明確な答えを出せないことの埋め合わせは、政治がしなければならないということである。科学的には決着できない議論を、政治的に決着させるということである。
永遠の問いに「エイヤッ」と答えを出すことが政治の役割である。それぞれの政策のプラス面・マイナス面を議論して、国民の合意を形成する。すべては議論から始まる。
(このコラムは毎月1日と15日の月二回。次回は3月1日です。)

【森田浩之プロフィール】
1966年生まれ、政治学者。フリーの著述家として、政治・経済について執筆・講演する一方、情報通信政策研究会の座長を務めている。NTT労働組合の政治学習会では、全般的な政治・経済に加えて、「これからの労働運動」「若者と政治」「NTTをめぐる規制と情報通信政策の動向」「地方分権時代の政策立案」など、多彩な内容の講演を行なう。著書に『小さな大国イギリス』(東洋経済新報社)、『社会の形而上学』『情報社会のコスモロジー』(共に、日本評論社)など。